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(エステティック業に関する最新情報) |
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日本脱毛技術研究学会 前会長 中西正興 様 |
が、去る4月22日(日)に |
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以下、理事長 松本正毅 ブログより抜粋。
(松本まさつよの私的美塾 http://ameblo.jp/masatsuyobijuku/)
私は、エステティック業界に参入して既に40年を過ぎようとしている。今から約34年前中西正興と言う男に業界の先輩である橋つい子先生の紹介で、神戸本町にある中西氏の経営するサロンでお会いしたのが初対面でした。私は当初自分で「NKB
Health&Beauty Clinic」と言うフェイシャル・ボディ専門の全身美容サロンを経営すると共に、「日本全身美容協会理事長」を兼務していたが、中西氏のサロンは美容室と併用し電気脱毛専門サロンを開設しており、当時私は脱毛否定の考え方を持っており、彼は今後電気脱毛の需要が増える考えを持っており、私の考え方と違う考え方が、初対面でありながら、双方意見の衝突をし、一時険悪な雰囲気に紹介者である橋先生にも大変な迷惑をお掛けした様でしたが、夕食を共にしながら明け方まで双方譲らず、相互理解が出来たのが翌日の昼頃であったことが、昨日の出来事の様に思い出されます。
相互理解が出来たきっかけは、彼が脱毛を本職にする前の職業が国鉄の機関車運転手であったこと、アメリカに遊びに行った時ホテルのbarで脱毛の神様と言われたヒンケルと言う人と知り合い、脱毛に興味を持ち、帰国後国鉄を退職し、アメリカのヒンケル氏に師事し本格的勉強をし、資格を取り日本に帰国、電気脱毛の普及にロマンをかけたことと、私が、商社マンの時、新幹線のトイレシステムの特許を取り、東海道新幹線、山陽新幹線の車両にトイレと汚物回収装置の指定業者として国鉄に携わる側らイタリアで、ホテルのbarで知り合ったボディマッサージ(サイコマッサージ)の創設者リチャドピアソン氏と知り合い、女性の健康美に興味を持ち、その後商社を退職し、全身美容業界に参入した環境が中西氏と似ていたことで、意気投合し、以後の付き合いが始まったのです。
昭和55年5月に全身美容学院を立ち上げ、昭和56年私の学院内に彼が神戸に開講していた日本脱毛技術学院の東京校を開設してもらい、毎月2週間カリキュラムで脱毛技術者の養成を行なうようになり、彼に意見具申をし「日本脱毛技術研究学会」を同年に設立、電気脱毛の普及は中西氏が、エステティックの普及は不肖松本が担当し、御互いのロマン街道を共に歩くことで、暗黙の内に了解しあい、東京に居る時には、連日連夜酒を酌み交わしながら相互ロマンの追及に関し意見交換をし、時には取っ組み合いの喧嘩もし、胸襟を開き良き理解者として認めあうようになったのです。
その間、故川崎享二先生、故吉田酵先生、故鳥居信隆先生他色々の諸先輩の先生方のご理解とご指導を頂きながら電気脱毛の社会的地位の確立に向け一途に歩んでこられました。
5年前肝硬変を患いながら死に急ぎ、生き急ぎしながらも頑張ってこられましたが、4月22日私を残して残念ながら三途の川を渡って御世の世界に行かれてしまいました。これでエステティックの歴史上の人物がまたこの世を去り、現役として私1人が取り残されてしまい、悲しさと淋しさと戦わされる羽目に置かれ残念でなりません。
中西先生に教えを請うた若い人達にお願いしたい事は、消費者ニーズ、社会ニーズは変わろうとも、電気脱毛に対する情熱は決して忘れる事無く、その真髄は継承して戴きたく、私からもお願い致します。 |
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